静岡家庭裁判所 昭和42年(少)624号 決定 1967年6月23日
少年 K・M(昭二三・一〇・八生)
主文
少年を中等少年院に送致する。
理由
一、非行事実
少年は、被害者K・A(二八年)の実弟で、同人と同居していた者であるが、同人から事ある毎に虐められていたため、日頃から同人を憎悪していたところ、たまたま昭和四二年五月○○日午後八時一五分ごろ、静岡市○○×丁目○番○○号、○○アパートの自宅において、少年は兄K・Tと共に好きなテレビ番組を見ようとして、兄K・Aに対しテしビを見せてくれと頼んだが同人はこれを承諾せず、かえつて少年を足蹴りにかけ、また殴打し、しかも、「お前ら二人ぶつ殺してやる」等と怒鳴りつけ、果ては乱暴を働く挙動に出たため、K・TがK・Aを制止しようとしたところ、同人はK・Tに対しても喧嘩を挑み、暴行を加えるので、少年はK・Aの態度に激昂し、日頃の忿懣も加わり、同人を殺害しようと企て、前記自宅勝手場から菜切包丁(刃渡二八・七センチメートル)を持ち来り、これを右手にもつて、自宅階下の四畳半北側廊下において、同人の左腹部に突き刺し、よつて即時左側腹部刺創に基く失血により同人を死亡するに至らしめたものである。
二、適条
刑法第一九九条
三、処分理由
(一) 少年の知能は限界域にあり、基本的な知質に劣りがある。その性格はかなり偏りを認め、幼児的な依存性、心身的不全感、社会性の未発達等が顕著で、人格全体にわたつて未熟な状態にある。また被刺激性が強く、自己の身体的欠陥を強く意識する。抑制に欠け衝動性はかなり高く一方自己中心的である。
(二) 家庭を見ると、実父は昭和三三年三月結核で死亡し、実母はその後夫の父母と同居して少年ら子供の面倒を見ながら女工や店員として働き、昭和三八年ころ、九州より出稼ぎに来ていた継父と知り合い、昭和四〇年八月ころから現住所に同棲するようになつた。実母は内気で温和であり、継父も温和で几帳面な人柄のようであり、継父と少年との間には特に問題を起すようなことは認められないが、しかし全般的に見て、家族の間には親近性が欠けている。家庭の経済面は、家族がいずれも稼働しているため、食生活にこと欠くようなことはない。
(三) 少年は本籍地で出生し、清水市○○町小学校を経て清水市立第○中学校を昭和三九年三月卒業して就職したのであるが、これより先、小学二年時に日本脳炎を煩い、そのためか知能は低下し、また中学一年時には原因不明の病気のため頭髪が脱落して全く無くなり、この身体的欠陥が禍いてしてか、窃盗の非行を犯して警察の訓戒を受け、また現在の理解ある雇主、○田万○郎の所で働くまでは就職しても永続せず、転職を繰りかえすことが多かつた。
(四) 本件非行の動機・原因を見ると、被害者K・Aは怠惰でしかも浪費癖があり、家族の金品を持出して遊興にあて、また癇癪もちで、しばしば家族に暴行を働き、このため同人は家族の厄介者的位置にあり、少年ら家族は物心両面に亘つて同人から苦しめられていたこと。少年は、身体的欠陥のため対人接触を忌み嫌い、狭い家庭生活の領域内にのみ停り、しかも母親への愛情が強いだけに、家庭保全の意志は相当に強固であり、更に少年の稼ぎが、家計維持につき主要的役割をしていたため、家族のことを顧みないK・Aを家庭の破壊者、邪魔者と視て極度に憎悪していたこと。しかして、前述の通り、少年はK・Aから暴行と罵倒をうけた危機の場において、同人に対する日頃の忿懣と憎悪の感情が限界点に達して爆発的に本件殺害の行為に出たことが推認される。
(五) そこで、本件少年の処遇につき考えると、本件非行は実兄を殺害した事件であり、これが有つ社会的影響は大きく、この罪責は重いのであるが、ひるがえつて少年の反社会的性格を吟味すると、それは甚しく固定かつ激烈ではないと思われる。本件少年の資質上の未熟さや、この事件が家庭内の出来事であるという性格、また事件の動機・原因、被害者K・Aを取り巻く家族間の関係等の事件の背景をもあれこれ解明して、少年の処遇を考える場合、本件を刑事処分にするよりは、保護処分に付することの方が、少年保護の理念に鑑みて妥当であると思料される。ただ、本件少年の場合、その資質上に改善し、矯正すべき多くのものがあり、更に本件につき家族、近隣等周囲の者の同情や示唆もあり、知的に低格で、社会的にも未熟な少年が、自己の犯行を半ば正当化して自責と改悛の念を薄め、その機会を失なつてはならないから、相当長期の間に亘つて施設に収容し、その間厳しい矯正教育をして、健全な社会人として育成することが必要である。
よつて、少年を中等少年院に収容することが相当であるから少年法第二四条第一項第三号、少年審判規則第三七条、少年院法第二条第四号により主文の通り決定する。
(裁判官 相原宏)
参考1 少年調査票<省略>
参考2 鑑別結果通知書<省略>